レスペクト (“respect”) の語源

さっそく語源のお話の続きを書きます。

好きな語源の一つに、”respect”(尊敬する)とうい単語があります。語源は何でしょうか?

ジーニアス英和辞典を見ると、「ふり返って(re)見る(spect)」「人としての価値を認める」が本義、と書いてあります。

テクニカルに言うと、respect という単語を分解し、re-という接頭辞に「再び」という意味、spectという語根に「見る」という意味がある(spectacles =眼鏡 とかもそうですね)、ということになりますが、ここで着目したいのは技術的なことではないです。

「尊敬する」という訳語だけとると、あまりに頻繁に使われているので、ありがた味がない感じですが、「人としての価値を認める」なんてといわれると、改めて素晴らしい言葉だと思うのです。

親を尊敬していますとか、歴史上偉大な業績を残した人物を尊敬しています、みたいな使い方が一般的ですよね。でも、respect は、自分が素晴らしいと思っている相手だけではなく、突き詰めると、自分以外の人に最低限持っておくべき感覚のように思うのです。

社会的に成功しているか否かにかかわらず、歳が自分より上か下かにかかわらず、男であるか女であるか性的マイノリティであるかにかかわらず、日本人か外国人かにかかわらず、です。

相手が何であれ、respect を持っていることが大事だと思います。

ここで一つ明確にしたいのは、「尊敬」という訳語だけみると、相手を肯定しさらに賞賛するイメージなのですが、私が思うのは、相手の「人としての価値を認める」という感覚です。

必ずしも相手を賞賛しなくても、好きにならなくてもいい。あえて言うと、肯定しなくてもよいと思います。しかし、「否定はしない」という感覚です。

世の中には、世界中には、いろいろな人がいます。そのなかで、自分が接する人のなかには、好きな人もいるでしょうが、そうでもない人もいるでしょう(多分好きじゃない人の方が多いのでは)。でも、好きではない相手に対して、その人を否定する態度をとると、それは相手に大変失礼でものあり、そのような態度が蔓延する社会はとても住みにくいものだと思います。

私は、英国に5年住みましたが、とても気分が楽で、住みやすいところです。その理由のコアにあるのは、他人が何をしようとも、ある意味「放っておいてくれる(好きにやらせてくれる)」感覚だと思っています。

イギリス人はよく礼儀正しいと言われますが、要は他人に接するときの respect の感覚が備わっているのだと思います。イギリス人に人格を否定されるような態度をとられた経験はないです。まぁ、尊敬されることもほとんどなかったですが(笑)。でも、respect は肯定とか賞賛である必要はなく、ただ相手の価値がこの世に存在することを許容する(tolerate)感覚だと思うのです。

ひるがえって日本はどうでしょうか? 私の経験ですが、自分より成功している人、自分より歳が上の人、自分が好きな人にはやさしくても、そうでない人にはとても否定的な態度をとる人が多いように思います。私にとって日本が住みにくい社会のように思えるのは、日本人には respect の感覚が一般に希薄だからではないかと思うのです。

日本がいつまでたってもインターナショナルに開けた市場になれないのは、言語の問題の前に、このあたりの感覚の問題があると思います。

相手に対する respect 無しでは、異文化コミュニケーションはできません。