スクール(”school”)の語源

1年以上ぶりに書きます。

この1年、英会話スクールでカウンセラーとして半年ほど勤務、そして今は学校法人で働いています。英語をキーワードにして、教育に関わる仕事をするようになりました。教育にかかわるのは初めてのことです。

さて、教育の場である「学校」。英語で”school”ですね。その語源についてジーニアス英語辞典を見てみるとー

「ひま、余暇」となっています。

なんか意外です。学校って熱心に勉強する場所で、「ひま」とはかけ離れた場所のような感じですが。

そこで英語語義語源辞典を引いてみると、語源の解説が次のようにありました。

ギリシャ語で「余暇」を意味する。sholeが語源。「人はゆとりがある時に物事を考えたり、論じたり、学ぶものである」ということから、「余暇を費やす場」→「学校」と意味が派生し、ラテン語scholaを経て古英語にscolとして入った。

人は心にゆとりがあって初めて学ぶものなのですね。直感的に確かにそうだなと思います。

生活とか進学とか就職とかに汲汲として、余裕のない心のままだと、勉強も手につかない。何かを学びたいという知的好奇心があって初めて学ぶのだと思います。衣食足りて礼節を知る、に感じが似てます。

では、「ゆとり教育」がいいのか。いえ、教える分量が詰め込み式かゆとり式かという観点ではないと思います。

学ぼうとする人の心持ちの問題だと思います。

学びの場は、学ぶ意欲を持った人が集まる場所なのです。ただし学校は、学びの場であると同時に、社会の要請として、子供たちを躾ける場でもあります。また国力を維持向上する政策としての義務教育の場でもあるでしょう。

しかし本質的には、学びたい気持ちがあって人は学ぶものだと思います。

義務でやることは楽しくないし、身につきにくいです。


デベロップ (“develop”) の語源

さて、本日は “develop”(発達・発展する)を採り上げます。

能力が発達する、国が発展する、新商品を開発するなど、前向きな言葉です。この単語の語源ですが、ジーニアス英和辞典によるとー

包み(velop) を解く(de)、となっています。

ちなみに反対語は、envelop(包む)です。名詞 envelope は封筒の意味ですね。なので、develop は封筒のなかのものを取り出すような感じですね。

さて一般的に、例えば「能力が発達する」というと、努力や工夫によって、最初は大したことがない能力を優れたものへと作り上げていく、というイメージがあります。

でも、「包みを解く」ですから、もともと優れた能力が人のなかにあって、それを掘り出すことが develop のイメージになります。

人の能力は最初は大したことなくて、努力や工夫によって優れたものへと作り上げていくようなものなのか? それとも、優れた能力は人のなかにもともと眠っていて、それをうまく引き出すことで、それを発揮できるということなのか?

私はどちらか分かりません。ただ、優れた才能はもともと人のなかに埋まっている、という方がなんか夢があるように思います。誰にでも埋まってはいなさそうですが。。

ついでながら、この語源を見ると、昔読んだ夏目漱石の『夢十夜』に出てくる運慶の話を思い出します。

ー 明治の時代なのに、運慶が仁王像を彫っている。主人公は、運慶が無造作に鑿を使っているのによくもまぁ思い通りに作れるものだと感心していると、そばにいた若い男が「いやあれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。」と言う。

優れた芸術作品も、そこに眠っているものを掘り出すということなのでしょうかね。でも、掘り出す技術が要りますよね。このあと主人公は、ならばと自分で掘り出だそうとしますが、「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだ」と悟るのです。

運慶でないと仁王像は掘り出せないのです。


シャイ (“shy”) の語源

本日はシャイ (“shy”) を採り上げます。

shy は「恥ずかしがりの」の意味で、日本語の日常会話のなかでも結構使っています。「日本人が英会話が不得意なのは、シャイな性格の人が多いからではないでしょうか」みたいに使いますね。で、例によってジーニアス英和辞典を見てみるとー

shy =「おびえる」が原義、と書いてあります。

恥ずかしがりの人は、根源的に、何かにおびえている。

確かに説得力がある説明です。失敗が怖いから、嫌な思いをするのが怖いから、相手に対して、未知のものに対して、おびえて尻込みしてしまう。ものに驚きやすい臆病な動物に対しても shy を使いますが、同じような感覚です。

失敗してもいいじゃないか、間違いは誰にだってあるし、皆そうやって成長するんだよ、ということですよね。

でも、なんでシャイになってしまうかというと、多分間違ったり失敗したりすると、「ダメじゃないか!」とか「えー間違えてやんの」などと、ビビらされたり嗤われたりするからだと思うんです。失敗に対して不寛容な社会に育つとそうなるのではないでしょうか。

日本ってそんな社会だと思いませんか?

「間違えたら否定される。だからもっと完璧に理解してから話そう」なんてね。外国人はこのあたりの感覚がかなり薄くて、失敗しても別に気にするふうもなく、ドンドン話す。で結果的には、たくさん経験を積んで、日本人より圧倒的に早く語学をマスターしてる。

人の失敗を見て嗤うやつは、嗤わしておきましょう。放っておけばいいです。日本人はもっと、「間違えたり失敗してもいいじゃん」と思うべきなんです。

と同時に、誰かが失敗しても、責めない。「レスペクト (“respect”) の語源」の稿でも少し触れましたが、他人を許容する寛大さ (tolerance)は大事です。

ちなみに「恥ずかしい」に関連して、「恥」は英語で一般的に “shame” になりますが、何が「恥」であるかについて、日英の間では違いがあります。英語語義語源辞典によるとー

” 例えば、うっかり間違えて「恥をかく」は feel shame ではなくfeel embarrassed に相当する。英語の shame は道徳上の不名誉や屈辱、苦痛から来るものに限られる。”

道徳的でない行為に対しては「恥」として非難すべきですが、うっかり間違えても非難はしない(本人はバツが悪い = embarrassed でしょうが)。

まっとうな感覚だと思います。