happy~幸せとは

「人は何のために生きているのか」と考えると哲学的で難しくなりそうなので、「あなたは生きていくなかで何が欲しいですか」と言うどうでしょう。

お金、財産、成功、名誉、などですか。そんな俗っぽいものではなくて、人からの信頼や、好奇心を満たす知識、あるいは社会に貢献している実感、などでしょうか。

いずれにしても人は、それによって心が満たされる状態、幸せな状態を求めていると考えることはできそうです。

幸せな状態を英語で言うと、”happy” でしょう。

ジーニアス英和辞典で語源を見てみると、「偶然の幸運による」とあります。

「偶然」の意味の古英語  “hap” の形容詞なんですね。”happen”(物事が偶然起こる)、”perhaps”(ひょっとしたら)も同源です。

さて、幸せは偶然の出来事によってもたらされるのでしょうか。

たまたま買った株で大儲けした、偶然素敵なパートナーに出会ったとか。確かに日本語でも「仕合せ」(めぐりあわせ)とも言います。

しかし現在では、一般に “happy” と言うと、偶然の幸運によるものに限らず、人の心が満たされた状態を表します。

一つ思うのは、偶然の幸運が起こるかどうかは別にして、”happy” な状態になるための行動を起こす方が、人生楽しいということです。

「安心が一番」とか、「平穏無事でいられれば幸せ」と言う方もよくいます。確かに大事なことですし、決して否定はしません。

でも私は、常に新たな変化を求めて行動し、時に偶然の幸運にも恵まれて 、”happy” になる方が面白いと思います。

ちなみに、「安心」は英語で “peace of mind” と言うことがでますが、この “peace”、語源はラテン語の “pax” で「平和」の意味です。ローマ神話の平和の女神の名前から来ています。

さらにジーニアス英和辞典では「同意する」が原義となっています。

パックス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)は、強奪、戦乱、殺戮を経て、同意、和解することで実現したのでしょうか。

ローマの昔から、平和はタダでは実現できないのです。


Ambiguity tolerance – 何か分からないことを許容する

令和になりました。

連休で時間ができたので、久しぶりにブログを書きます。

まとまった時間ができると、いろんなことを考えるわけですが、かつてロンドンで働いていたころに聞いた言葉を、夜中にふと思い出しました。

ambiguity tolerance

“ambiguity”は、「あいまいさ」とか「複数の意味があること」という意味ですが、英英辞典にはさらに、「たくさんの異なる側面を内包しているため、理解したり説明することが難しい状態」という解説があります。

“tolerance”は、「寛容」とか「忍耐」の意味ですが、これも英英辞典に、「自分が同意しない、あるいは好きではないことを、誰かが行うことを許容すること」とあります。

まとめると、いろんな側面があって多様な解釈ができる事柄を、仮に自分の価値観とは合わなくとも、許容すること。

私は金融に携わっていましたが、ロンドン市場はいろんな国のリスクを許容する懐が深かったと思います。当然リスクは伴うのですが。

私が ambiguity tolerance という言葉を聞いたロンドンというところは、国際金融都市として長い歴史を持っています。イギリスは、日本より面積が小さな狭い島国ですから、歴史的に多くの国々との交易のなかで生きてきました。

つまり、自国とは異なる文化、風習、価値観をもった国や地域との関わりが、非常に多かったのです。自国の価値観では理解できない「なんか訳が分からないこと」でも、あえて受け入れて前に進む度量が必要だったのではないでしょうか。

でも、なぜ今この言葉を思い出したのか。

平成から令和に変わるこの長い連休にあって、テレビを始めとしたたくさんの報道に触れています。そのなかで、様々な出来事や事柄に対して、皆、何か一つのの意味付けをしようと必死なふうに映ります。

そして自分の価値観にそぐわない事柄を、徹底して排除してしまう。価値観が単一化していく社会は、息苦しいです。

日本も小さな島国。多くの国との関わりなしには生きていけないのです。


スクール(”school”)の語源

1年以上ぶりに書きます。

この1年、英会話スクールでカウンセラーとして半年ほど勤務、そして今は学校法人で働いています。英語をキーワードにして、教育に関わる仕事をするようになりました。教育にかかわるのは初めてのことです。

さて、教育の場である「学校」。英語で”school”ですね。その語源についてジーニアス英語辞典を見てみるとー

「ひま、余暇」となっています。

なんか意外です。学校って熱心に勉強する場所で、「ひま」とはかけ離れた場所のような感じですが。

そこで英語語義語源辞典を引いてみると、語源の解説が次のようにありました。

ギリシャ語で「余暇」を意味する。sholeが語源。「人はゆとりがある時に物事を考えたり、論じたり、学ぶものである」ということから、「余暇を費やす場」→「学校」と意味が派生し、ラテン語scholaを経て古英語にscolとして入った。

人は心にゆとりがあって初めて学ぶものなのですね。直感的に確かにそうだなと思います。

生活とか進学とか就職とかに汲汲として、余裕のない心のままだと、勉強も手につかない。何かを学びたいという知的好奇心があって初めて学ぶのだと思います。衣食足りて礼節を知る、に感じが似てます。

では、「ゆとり教育」がいいのか。いえ、教える分量が詰め込み式かゆとり式かという観点ではないと思います。

学ぼうとする人の心持ちの問題だと思います。

学びの場は、学ぶ意欲を持った人が集まる場所なのです。ただし学校は、学びの場であると同時に、社会の要請として、子供たちを躾ける場でもあります。また国力を維持向上する政策としての義務教育の場でもあるでしょう。

しかし本質的には、学びたい気持ちがあって人は学ぶものだと思います。

義務でやることは楽しくないし、身につきにくいです。