トリビア(”trivia”)と哲学(”philosophy”)

新型コロナウイルスの感染拡大に対する人々の不安が、更に増しています。

この状態はやはり中長期的に続くのか。このウイルスの本当の危険性はどの程度なのか。検査の信頼性はどうなのか。これはウイルスとの戦いなのか、それとも共存なのか。

在宅時間が増えたこともあり、これから将来のことをあれこれ考えることが増えたように思います。

そういう中でも、言葉の語源を追求する癖だけは、変わらないようです。何かの拍子に、「その言葉のもともとの意味って何だろう」と思ってしまい、それがいったん床に入った後であっても、わざわざ起きだして辞書を引かないと気が収まりません。

だいたいがクイズ番組で役立つぐらいのつまらない雑学的知識(トリビア)かもしれませんが。

そのトリビア(”trivia”)の語源ですが、これがなかなか興味深いです。

英語語義語源辞典によると、trivia の語源はラテン語 trivium = tri- three + via wayで、「3本の道が交差する場所」の意。これが転じて「人が集まる大衆的な場所」、さらに中世の大学では7つの liberal arts のうち「下級三学(grammar, rhetoric, logic )」の意となり、「つまらないもの」につながった。

文法・修辞学・論理学が「下級」とは、随分な扱いですよね。

おもしろいので、今度は liberal arts を引いてみると、現在は米国の大学の一般教養科目の意味ですが、中世ヨーロッパの大学における自由七科(文法・論理学・修辞学・算数・幾何・天文・音楽)とあります。

更にwebでいろいろと調べてみると、下級3学に対して、数学・幾何・天文・音楽は上級4学。教養課程である自由七科を修めた後、専門課程である神学・医学・法学に分かれて進学した。また自由七科の上位に位置する学問が、哲学。

哲学の現代的な意味は、一言でいうと、この世界や人生の根本原理を追求する学問といったところだと思います。そのルーツを辿っていくと、哲学は、人間の修めるべき教養の頂点にある学問だったようです。

西周が「哲学」と訳した philosophy の原義について、ジーニアス英和辞典には、「知(sophy)を愛すること(philo)」とありました。

私も、知を愛しながら、この世界で生きるための根本原理を追求していきたいと思います。


マスク(”mask”)の語源

新型コロナウイルス。

厄介ですね。日本中が、世界中が自粛しています。

コロナ(corona)はラテン語で「王冠」(crown)、ウイルス(virus)もラテン語で「毒」(poison)の意味です。

この王冠の形をした毒が、私たちの世界を否応なしに変えつつあります。誰もが頭が混乱し、不安に駆られ、ほとんどの場合ネガティブなスパイラルに陥っていく日々の生活に、なすすべもなく当惑しています。

私もそうです。そして今後、仮に感染の拡大が収束したとしても、私たちの世界は、元に戻ることはなく、大きく変容したものになると、直感的に感じています。

では、大きく変容するかもしれない世界を、どう生きるか。

それについては、家で過ごさざるをえないゴールデンウイークの間に、ゆっくり考えようと思っています。

とりあえず今、世の中を見渡すと、自粛、在宅勤務の大人たち、休校になった子供たち。そして会う人は皆、マスクを着けてますね。

マスクの語源は、英語語義語源辞典によると、アラビア語の maskharah(道化者)となっています。もともとマスクは、道化者がお芝居などの時に身に着けた仮面のことを言ったのでしょうか。

そういえば、外国映画を見ていると、昔のイギリスやヨーロッパの宮殿で仮面舞踏会をやっていて、ピエロのような道化者の仮面を着けた人が出てきたりします。

中世の昔から、マスクは貴族たちが舞踏会の時に身に着けて、ひと時の非日常を楽しむためのものだったのでしょうか。

でもコロナの毒が蔓延する現在、マスクは日常のものになってしまいました。マスクをするのが当たり前となり、マスクをしていないと白い目で見られたりして。

これから来るかもしれない変容した世界では、マスクが人間のデフォルト仕様になるのかもしれません。

初めは衣類を身に着けていなかった人間が、陰部を覆う下着をつけるようになったみたいに、毒が入らないよう、顔面に開いた穴を覆うマスクが必要になるのでしょうか。


happyの語源

「人は何のために生きているのか」と考えると哲学的で難しくなりそうなので、「あなたは生きていくなかで何が欲しいですか」と言うどうでしょう。

お金、財産、成功、名誉、などですか。そんな俗っぽいものではなくて、人からの信頼や、好奇心を満たす知識、あるいは社会に貢献している実感、などでしょうか。

いずれにしても人は、それによって心が満たされる状態、幸せな状態を求めていると考えることはできそうです。

幸せな状態を英語で言うと、”happy” でしょう。

ジーニアス英和辞典で語源を見てみると、「偶然の幸運による」とあります。

「偶然」の意味の古英語  “hap” の形容詞なんですね。”happen”(物事が偶然起こる)、”perhaps”(ひょっとしたら)も同源です。

さて、幸せは偶然の出来事によってもたらされるのでしょうか。

たまたま買った株で大儲けした、偶然素敵なパートナーに出会ったとか。確かに日本語でも「仕合せ」(めぐりあわせ)とも言います。

しかし現在では、一般に “happy” と言うと、偶然の幸運によるものに限らず、人の心が満たされた状態を表します。

一つ思うのは、偶然の幸運が起こるかどうかは別にして、”happy” な状態になるための行動を起こす方が、人生楽しいということです。

「安心が一番」とか、「平穏無事でいられれば幸せ」と言う方もよくいます。確かに大事なことですし、決して否定はしません。

でも私は、常に新たな変化を求めて行動し、時に偶然の幸運にも恵まれて 、”happy” になる方が面白いと思います。

ちなみに、「安心」は英語で “peace of mind” と言うことができますが、この “peace”、語源はラテン語の “pax” で「平和」の意味です。ローマ神話の平和の女神の名前から来ています。

さらにジーニアス英和辞典では「同意する」が原義となっています。

パックス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)は、強奪、戦乱、殺戮を経て、同意、和解することで実現したのでしょうか。

ローマの昔から、平和はタダでは実現できないのです。