シャイ (“shy”) の語源

本日はシャイ (“shy”) を採り上げます。

shy は「恥ずかしがりの」の意味で、日本語の日常会話のなかでも結構使っています。「日本人が英会話が不得意なのは、シャイな性格の人が多いからではないでしょうか」みたいに使いますね。で、例によってジーニアス英和辞典を見てみるとー

shy =「おびえる」が原義、と書いてあります。

恥ずかしがりの人は、根源的に、何かにおびえている。

確かに説得力がある説明です。失敗が怖いから、嫌な思いをするのが怖いから、相手に対して、未知のものに対して、おびえて尻込みしてしまう。ものに驚きやすい臆病な動物に対しても shy を使いますが、同じような感覚です。

失敗してもいいじゃないか、間違いは誰にだってあるし、皆そうやって成長するんだよ、ということですよね。

でも、なんでシャイになってしまうかというと、多分間違ったり失敗したりすると、「ダメじゃないか!」とか「えー間違えてやんの」などと、ビビらされたり嗤われたりするからだと思うんです。失敗に対して不寛容な社会に育つとそうなるのではないでしょうか。

日本ってそんな社会だと思いませんか?

「間違えたら否定される。だからもっと完璧に理解してから話そう」なんてね。外国人はこのあたりの感覚がかなり薄くて、失敗しても別に気にするふうもなく、ドンドン話す。で結果的には、たくさん経験を積んで、日本人より圧倒的に早く語学をマスターしてる。

人の失敗を見て嗤うやつは、嗤わしておきましょう。放っておけばいいです。日本人はもっと、「間違えたり失敗してもいいじゃん」と思うべきなんです。

と同時に、誰かが失敗しても、責めない。「レスペクト (“respect”) の語源」の稿でも少し触れましたが、他人を許容する寛大さ (tolerance)は大事です。

ちなみに「恥ずかしい」に関連して、「恥」は英語で一般的に “shame” になりますが、何が「恥」であるかについて、日英の間では違いがあります。英語語義語源辞典によるとー

” 例えば、うっかり間違えて「恥をかく」は feel shame ではなくfeel embarrassed に相当する。英語の shame は道徳上の不名誉や屈辱、苦痛から来るものに限られる。”

道徳的でない行為に対しては「恥」として非難すべきですが、うっかり間違えても非難はしない(本人はバツが悪い = embarrassed でしょうが)。

まっとうな感覚だと思います。

リスク (“risk”) の語源

本日も語源シリーズです。

“risk” というと一般には、「危険性」とか「恐れ」というふうに使われていますね。「リスクが大きそうだから、今はやめておこう」みたいな使い方です。この単語の語源、ご存じですか? 例によってジーニアス英和辞典の冒頭のあたりを見てみるとー

「絶壁の間を船で行く」が原義、と書いてあります。

なんかドラマティックな表現だと思いませんか。一般的な “risk” のネガティブなイメージとは違って、なんだか冒険心に満ちていると思いませんか。面白そうなので、英語語義語源辞典を見てみるとー

イタリア語 rischiare(run into danger) の名詞 risco(危険)がフランス語を経て英語に入った。一説では「船で絶壁の間を行く」という俗ラテン語 risicare に由来するとも。

なにやら面倒くさい説明ですが、要は「自ら危険を承知で踏み出す」感じではないでしょうか。

ではなぜ危険を冒して踏み出すのか、というと、その先に自分の見たいものや得たいものがあるからでしょう。何もないのに危険を冒すのは、単なる変人です。おそらく大部分の人は、何かが欲しいから危険を冒すのです。

断崖絶壁の間に見える海は洋々たる海原に続いていて、その先には自分の見たこともない世界がある。おそらく大航海時代に海を渡った人々は、絶壁の先にある海の、その先にある未知の国々を見てみたい、そこには自分の国にはない産物があってそれで利益を得たい、と考えたはずです。

私は長く金融の世界にいましたが、リスクというとやはり保険やデリバティブ(金融派生商品)でヘッジするものという感じが強く、要は回避する対象でした。しかし、金融の基本は、ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンという通り、リスクを取らないところにリターン(利益)はありません。

海外金融当局による銀行規制の枠組みに、risk appetite という言葉があります。為替リスク、金利リスク、カントリーリスク云々。で、「おたくの銀行のリスクに対するアペタイト(食欲)は?」、つまりどれくらいリスクを食う(取る)つもりですか、その量のリスクをどうやって管理していきますか?ということです。

金融だけではなく、どんな業種でもリスクを取らないところに利益は生じない。いや産業界だけではなく、学問や研究であっても、人間関係であっても、みなそうです。一歩を踏み出さなければ、進展しません。(ただ、人として取るべきではない危険というものの各人なりの定義があるとは思います。)

金融の基本どおり、ノーリスクはノーリターンなのです。

たしかに危険なことはイヤですし、なんとかして回避したい。でも何をするにもリスクばかりを考えて、さらにはリスクを蛇蝎のごとく忌み嫌って、一歩も前に踏み出さない。100%クリアでないと、気が済まない。そんな社会はとても窮屈で暗いし、おそらく未来はないです。

リスクを乗り越えた先には、洋々たる海があります。

リスペクト (“respect”) の語源

さっそく語源のお話の続きを書きます。

好きな語源の一つに、”respect”(尊敬する)とうい単語があります。語源は何でしょうか?

ジーニアス英和辞典を見ると、「ふり返って(re)見る(spect)」「人としての価値を認める」が本義、と書いてあります。

テクニカルに言うと、respect という単語を分解し、re-という接頭辞に「再び」という意味、spectという語根に「見る」という意味がある(spectacles =眼鏡 とかもそうですね)、ということになりますが、ここで着目したいのは技術的なことではないです。

「尊敬する」という訳語だけとると、あまりに頻繁に使われているので、ありがた味がない感じですが、「人としての価値を認める」なんていわれると、改めて素晴らしい言葉だと思うのです。

親を尊敬していますとか、歴史上偉大な業績を残した人物を尊敬しています、みたいな使い方が一般的ですよね。でも、respect は、自分が素晴らしいと思っている相手だけではなく、突き詰めると、自分以外の人に最低限持っておくべき感覚のように思うのです。

社会的に成功しているか否かにかかわらず、歳が自分より上か下かにかかわらず、男であるか女であるか性的マイノリティであるかにかかわらず、日本人か外国人かにかかわらず、です。

相手が何であれ、respect を持っていることが大事だと思います。

ここで一つ明確にしたいのは、「尊敬」という訳語だけみると、相手を肯定しさらに賞賛するイメージなのですが、私が思うのは、相手の「人としての価値を認める」という感覚です。

必ずしも相手を賞賛しなくても、好きにならなくてもいい。あえて言うと、肯定しなくてもよいと思います。しかし、「否定はしない」という感覚です。

世の中には、世界中には、いろいろな人がいます。そのなかで、自分が接する人のなかには、好きな人もいるでしょうが、そうでもない人もいるでしょう(多分好きじゃない人の方が多いのでは)。でも、好きではない相手に対して、その人を否定する態度をとると、それは相手に大変失礼であり、そのような態度が蔓延する社会はとても住みにくいものだと思います。

私は、英国に5年住みましたが、とても気分が楽で、住みやすいところです。その理由のコアにあるのは、他人が何をしようとも、ある意味「放っておいてくれる(好きにやらせてくれる)」感覚だと思っています。

イギリス人はよく礼儀正しいと言われますが、要は他人に接するときの respect の感覚が備わっているのだと思います。イギリス人に人格を否定されるような態度をとられた経験はないです。まぁ、尊敬されることもほとんどなかったですが(笑)。でも、respect は肯定とか賞賛である必要はなく、ただ相手の価値がこの世に存在することを許容する(tolerate)感覚だと思うのです。

ひるがえって日本はどうでしょうか? 私の経験ですが、自分より成功している人、自分より歳が上の人、自分が好きな人にはやさしくても、そうでない人にはとても否定的な態度をとる人が多いように思います。私にとって日本が住みにくい社会のように思えるのは、日本人には respect の感覚が一般に希薄だからではないかと思うのです。

日本がいつまでたってもインターナショナルに開けた市場になれないのは、言語の問題の前に、このあたりの感覚の問題があると思います。

相手に対する respect 無しでは、異文化コミュニケーションはできません。